『1980』 『1993』 感想

閲覧先のBLOGにて存在を知り、ニコニコ動画で視聴。

『1980』ねこねこソフトのゲームラムネ内のスタッフルームに書かれている短編。

・『1993』はステージななのゲームナルキッソス3rd-Die Dritte Welt-にて差分パッチを充てることで出てくる短編

どちらもナルキッソスというシナリオライター片岡ともが作った物語に大きく影響を与えたであろう、ライター自身の経験?を物語調にした作品。




これをフィクションと取るかノンフィクションと取るかで全然感じ方は変わると思うのですが、自分はノンフィクションだと思いました。(介護疲れは)経験した人しかわからないといったことが、『1993』の文章内に書いてあったのですが、このこと自体が、ナルキッソスシリーズ(ステージなな)で言えることだと思います。寄り添うことはできても、わかることはできない。



この2つの物語の経験が、片岡とものもの書きとしての大きな軸になっていると感じました。人の死というものは残された人に大きな影響を与え、様々な思いを巡らせ、そしてその後の生き方そのものを変えるかもしれないもので、それ自体が大きなパワーを持っていると自分は考えています。目の前で命がつきる瞬間に立ち会うことや、死に瀕した人と接することはものすごくエネルギーを使うことですが、その分何か、得られるものはあるのでしょうね。そういった経験に似たものを体験できただけでも、この2つの物語はよかったです。



ちなみに、ナルキッソスやこの『1980』や『1993』という物語は、自分の中で死生観について考えさせる、感じさせる物語だと思うのですが、自分の死生観はまだ、死生観といえるほど深まってないです。ただ、2つの物語を見て思うのは、出来ることならば自分が死ぬとき、周りの人には笑っていてほしいですね。